
DOCTOR INTERVIEW
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開業医インタビュー
「心を診ることの重要性」
福田 真
SHIN FUKUDA
医療法人社団 奏愛会 / 副理事長
アカラクリニック / 院長
2004年 弘前大学医学部医学科卒業
茅ヶ崎徳洲会総合病院(現:茅ヶ崎徳洲会病院)にて初期臨床研修
2006年 湘南鎌倉総合病院 総合内科にて後期研修
2008年 内科チーフレジデント
2009年 東京医科歯科大学医学部附属病院 膠原病・リウマチ内科に入局し
リウマチ膠原病診療に従事
湘南鎌倉総合病院 総合内科・リウマチ科非常勤
武蔵野赤十字病院 膠原病・リウマチ内科非常勤
2011年 信愛クリニック非常勤医として勤務、心療内科診療開始
2014年 東京医科歯科大学大学院 博士課程修了
医療法人社団奏愛会に入職、信愛クリニック常勤医として勤務
2016年 アカラクリニック開院

私は2016年4月より、アカラクリニックの院長として地域医療に携わっています。私の今があるのも、2011年に何気なく探していたバイト先として信愛クリニックをみつけ応募するところからすべてが始まっており、まさにそこが人生の大きな岐路だったと思います。
どこかで働くか?ということにおいて、医師である以上は「生涯の学び」は給料と同じくらい重要です。当時大学院生だった私にとって、生活費としての給料を求めてバイト先に選んだ信愛クリニックでしたが、思いのほかそれ以上に「学び」を得られる場だと気づいたのは実際に勤務をし始めてからでした。当初開業には全く興味がなく、「診療所勤務=医師としての成長がストップする」くらいに思っていた私でしたが、実際に信愛クリニックでの勤務を通じて大きくふたつの学びを得ることができました。開業・経営的思考と、総合内科医として「心」を見ることの大切さです。
それまでいわゆる野戦病院でひたすら多くの入院患者を「管理」したり、外来患者を「さばく」ことをしていたり、とにかく眼の前の業務に忙殺されていた私は、一転大学病院でリウマチ・膠原病の専門研修をする道を選びました。高度医療機関ならではのめずらしい症例にテンションが上がり、一例一例じっくりと吟味して論文を読んだり書いたりするという生活にある意味満足をしていました。ただそれと同時並行に信愛クリニックで学ぶことができたのは、会計学・リーダーシップ・チームビルディングなどの経営的な側面での知識に加え、目の前の患者にいかに満足してもらうかという「外来術」でした。徐々に大学病院での専門的知識の積み上げに疲弊してくるのと反比例して、信愛クリニックでの学びはワクワクするもので、自己学習にも拍車がかかりました。こちらが望めばいくらでも教えてくれるという、井出先生の熱心な姿勢にはとても感謝しています。
もうひとつ、心をみることの大切さを教えてくれたのも信愛クリニックでした。それまでは総合内科医として、どこの専門科に振り分けたらよいかわからない患者に対するマネジメントの研鑽を積んできました。
むずかしい診断をつけたり、その疾患に対する治療方針を決めたりといった、ごくあたりまえの内科医としての仕事をする中で、心療内科という別の見かたを学ぶことによって、これまでは診断のつかなかった患者やただルールアウトをして帰していた患者、なかなか本当の困りごとが解決しない患者のことがとても理解できるようになりました。
心を見る、精神疾患を診るというと大げさで敷居が高く感じますが、実際には視点をちょっと変えて、その患者の背景を探るというアクションをちょっと加えるだけで見えなかったものが見えてくるということを経験し、またそれに向き合い対応をすることによって患者が良くなるということを目の当たりにして、自分自身の総合内科医としての厚みは増すに違いないと確信しました。こちらも同じように、井出先生のいくらでも時間を割いて教えてくれるという姿勢とともに、非常に多くの心療内科患者を診て経験することができるというところがとても大きな特徴だと思います。
このように、当初開業にも心療内科にも興味がなく、ただのバイトとして勤務し始めた信愛クリニックでしたが、気がつけば心療内科を専門としたクリニックの院長をしているという事実に、こうやって振り返ると驚くばかりです。私のように開業を志していない、また心療内科ばかりを診ることは望んでいないという方にとっても、信愛クリニックにおける勤務での経験は以後の医師人生においてプラスになる可能性を秘めています。
2024年4月からは医療法人社団奏愛会の副理事長として奏愛会全体の運営マネジメントにも携わっております。よいチームを創り、そこで生まれた温かいエネルギーを地域医療に注ぐべく、いままでに得た知識や経験をフル稼働して活動しています。
それまでいわゆる野戦病院でひたすら多くの入院患者を「管理」したり、外来患者を「さばく」ことをしていたり、とにかく眼の前の業務に忙殺されていた私は、一転大学病院でリウマチ・膠原病の専門研修をする道を選びました。高度医療機関ならではのめずらしい症例にテンションが上がり、一例一例じっくりと吟味して論文を読んだり書いたりするという生活にある意味満足をしていました。ただそれと同時並行に信愛クリニックで学ぶことができたのは、会計学・リーダーシップ・チームビルディングなどの経営的な側面での知識に加え、目の前の患者にいかに満足してもらうかという「外来術」でした。徐々に大学病院での専門的知識の積み上げに疲弊してくるのと反比例して、信愛クリニックでの学びはワクワクするもので、自己学習にも拍車がかかりました。こちらが望めばいくらでも教えてくれるという、井出先生の熱心な姿勢にはとても感謝しています。
もうひとつ、心をみることの大切さを教えてくれたのも信愛クリニックでした。それまでは総合内科医として、どこの専門科に振り分けたらよいかわからない患者に対するマネジメントの研鑽を積んできました。
むずかしい診断をつけたり、その疾患に対する治療方針を決めたりといった、ごくあたりまえの内科医としての仕事をする中で、心療内科という別の見かたを学ぶことによって、これまでは診断のつかなかった患者やただルールアウトをして帰していた患者、なかなか本当の困りごとが解決しない患者のことがとても理解できるようになりました。
心を見る、精神疾患を診るというと大げさで敷居が高く感じますが、実際には視点をちょっと変えて、その患者の背景を探るというアクションをちょっと加えるだけで見えなかったものが見えてくるということを経験し、またそれに向き合い対応をすることによって患者が良くなるということを目の当たりにして、自分自身の総合内科医としての厚みは増すに違いないと確信しました。こちらも同じように、井出先生のいくらでも時間を割いて教えてくれるという姿勢とともに、非常に多くの心療内科患者を診て経験することができるというところがとても大きな特徴だと思います。
このように、当初開業にも心療内科にも興味がなく、ただのバイトとして勤務し始めた信愛クリニックでしたが、気がつけば心療内科を専門としたクリニックの院長をしているという事実に、こうやって振り返ると驚くばかりです。私のように開業を志していない、また心療内科ばかりを診ることは望んでいないという方にとっても、信愛クリニックにおける勤務での経験は以後の医師人生においてプラスになる可能性を秘めています。
2024年4月からは医療法人社団奏愛会の副理事長として奏愛会全体の運営マネジメントにも携わっております。よいチームを創り、そこで生まれた温かいエネルギーを地域医療に注ぐべく、いままでに得た知識や経験をフル稼働して活動しています。
私は2016年4月より、アカラクリニックの院長として地域医療に携わっています。私の今があるのも、2011年に何気なく探していたバイト先として信愛クリニックをみつけ応募するところからすべてが始まっており、まさにそこが人生の大きな岐路だったと思います。
どこかで働くか?ということにおいて、医師である以上は「生涯の学び」は給料と同じくらい重要です。当時大学院生だった私にとって、生活費としての給料を求めてバイト先に選んだ信愛クリニックでしたが、思い のほかそれ以上に「学び」を得られる場だと気づいたのは実際に勤務をし始めてからでした。当初開業には全く興味がなく、「診療所勤務=医師としての成長がストップする」くらいに思っていた私でしたが、実際に信愛クリニックでの勤務を通じて大きくふたつの学びを得ることができました。開業・経営的思考と、総合内科医として「心」を見ることの大切さです。